周回遅れの慰安婦問題メモ

ほんとうはどうすればいいのだろうか?

戦争

慰安婦は戦争の犠牲者と言われている。

戦場の慰安所に送られ、兵士たちの相手をさせられた、だけではない。当時朝鮮が日本に支配されていたのも、ある種の戦争の結果と言えなくもない。じっさい今の韓国の見解では、当時朝鮮は日本と独立戦争をしていた、というのだ。1919年から上海に臨時政府があった。

 

1919年から存在した政府は、1945年まで、日本による圧政が”自国民”に加えられても、保護することができなかった。その責任を今にして果たせなくては、1919以来の”法統”の名に恥じる。

 

保護できなかった国民は、慰安婦だけではない。しかし1965年に朴正煕大統領は、日本への請求権を”包括的に”解決してしまった。今の韓国では、慰安婦は、この一括からはずれた例外だとされている。

 

朴正煕大統領の1965決断を誤りと考え、すべての請求権が未解決だという人もいる。軍事独裁政権と日本が手を結んだと考えることもできよう。民主化を果たした今、そこにも認識の争いが生じている。

 

実は1919年という韓国という国の起源も、韓国では歴史認識問題になっている。1948年ではないか、という一派もある。それは北朝鮮を国と認めるか、それとも不法に占領された韓国の土地か、という点に関わる。

 

歴史認識が骨肉の争いとなる、という韓国的精神風土が、どうしても見えてしまう。不定形な歴史へのほんとうの興味は生まれない。党派や集団に所属することを、個人よりも優先することになる。

 

韓国の若い世代は、朝鮮は日本に条約によってではなく、戦争や暴力で占領されたと思っているだろう。暴力なしに許すはずがない、と。それが慰安婦への思いに投影されている、と思う。