周回遅れの慰安婦問題メモ

ほんとうはどうすればいいのだろうか?

帝国の慰安婦の

帝国とは何だという人はいるが副題の<植民地支配と記憶の戦い>には知らんふりをしている。

 

公的記憶同調圧力をなくせば(なくなるのか?)植民地時代のことが自由に思い出したり語り合ったりできる、、その例が最近多くなってきた説話

 

日本兵と恋に落ちた・・朝鮮人慰安婦 

 

・・この銅像はまだかなwww

 

植民地時代の朝鮮や日本で一人ひとりが何を思い生きていたかを告白する自由がある。それにもとづいて法的責任を問うことも自由。それが新たな公的記憶を生んだとしても、人には依然としてその時代を自分なりに  する自由がある。

 

全員が被害者、日本人慰安婦も

通常の売春婦なら、客が一日3,4人でも多い方だっただろう。兵隊が行列して順番を待つなど、性労働とは言いながら奴隷と呼んでもおかしくない苛酷なものだった。募集に応じた女性にも、詳しい実態は知らされなかった。現地について「話が違う」と抗議もできない。。。

 

納得した人、強制された人の違いはあれ、その”奴隷性”は全員にあったのだから、

「広島長崎の被爆者が全員、年齢職業国籍等々を問わず被爆者であるように、慰安所で働いた・働かされた慰安婦は全員、強制自発を問わず戦争犯罪・人権侵害の被害者である。」

と言えるだろう。

 

ならば「日本人の慰安婦も被害者に含まれる」と言える。

 

慰安婦は多国籍であり、ジェンダー問題であり、階級貧困の問題であり、民族問題オンリーとは離れてゆく、はずだった。

 

が、そうはいかなかった。

 

戦争

慰安婦は戦争の犠牲者と言われている。

戦場の慰安所に送られ、兵士たちの相手をさせられた、だけではない。当時朝鮮が日本に支配されていたのも、ある種の戦争の結果と言えなくもない。じっさい今の韓国の見解では、当時朝鮮は日本と独立戦争をしていた、というのだ。1919年から上海に臨時政府があった。

 

1919年から存在した政府は、1945年まで、日本による圧政が”自国民”に加えられても、保護することができなかった。その責任を今にして果たせなくては、1919以来の”法統”の名に恥じる。

 

保護できなかった国民は、慰安婦だけではない。しかし1965年に朴正煕大統領は、日本への請求権を”包括的に”解決してしまった。今の韓国では、慰安婦は、この一括からはずれた例外だとされている。

 

朴正煕大統領の1965決断を誤りと考え、すべての請求権が未解決だという人もいる。軍事独裁政権と日本が手を結んだと考えることもできよう。民主化を果たした今、そこにも認識の争いが生じている。

 

実は1919年という韓国という国の起源も、韓国では歴史認識問題になっている。1948年ではないか、という一派もある。それは北朝鮮を国と認めるか、それとも不法に占領された韓国の土地か、という点に関わる。

 

歴史認識が骨肉の争いとなる、という韓国的精神風土が、どうしても見えてしまう。不定形な歴史へのほんとうの興味は生まれない。党派や集団に所属することを、個人よりも優先することになる。

 

韓国の若い世代は、朝鮮は日本に条約によってではなく、戦争や暴力で占領されたと思っているだろう。暴力なしに許すはずがない、と。それが慰安婦への思いに投影されている、と思う。

売春婦も被害者、

「帝国の慰安婦」と同じ主張は10年前からある。2004年にソウル大経済学部教授、イ・ヨンフンが糾弾されたことがある。その主張は、

 

慰安婦は売春業だった・中間業者の存在・強制連行は偶発的・など。

 

慰安婦たちは、売春婦と同一視するのかと憤り、マスコミも加勢して教授を謝罪に追い込んだ。今回の「帝国の慰安婦」に対する名誉毀損での告訴・起訴(いわゆる”パクユハ事態”)も、まったく同じ怒りが再燃したものだ。

 

なぜ「売春婦と同一視するな」なのか。

答:売春婦は自発的な職業人で、強制されていないから。

 

ところで支援団体は、売春業から慰安婦になった経歴の人もサポート?しているという。このへんの論理はまだよくわからない。

 

しかしあの”少女像”は明らかに「最も悲惨な被害者」を想像し理想化して作られている。強力な単一イメージは運動には役立っても、かえって個々の被害者や歴史の複雑さを見えにくくする。かつて戦争が、被害者たちを個人ではなく単一の”軍需品”として扱ったのと同じ姿勢、”戦い”の姿勢である。

 

慰安婦問題を解決するための支援運動が、なぜ現今のような”戦い”になるのかを考えたい。

銅像

少女像を守ろう!という韓国紙の写真。

韓国各地の銅像には色とりどりの手編みのマフラーや帽子が着せられている。

 

少女像に被せる毛糸の帽子、生きた人間に被せる普遍的人権の栄誉。

銅像が人間化し、人間が銅像化する。

 

慰安婦戦争犯罪の生き証人として、ホロコーストをはじめあらゆる戦争犯罪、人権抑圧、ジェノサイドの被害者と連帯して戦う、こともできる。

 

だが、必ずそうしなければならないわけではない。 

しかしまた、それを期待する人々の存在も無視できない。

 

人間には帽子を、銅像にはお好きな幻想を!

とはならないものか。

 

妥結

どんな思惑が水面下で飛び交ったか、それはさておき。

2015年12月28日、慰安婦問題の政治的な合意が両政府から出された。

これは解決ではないと言う人たちも、政治解決を求める点では、両政府と同じ土俵に乗っている。

 

政治解決が唯一の解決なのか?という問いは、相変わらず答えられていない。